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ライター・筆跡アナリスト 関由佳の紫日記

フリーライターで筆跡アナリストの関由佳が、日頃気づいたことや活動のお知らせをつづるブログです。

専業主婦になりたかった私がフリーライターになるまで その2~社会人スタートから最初の結婚まで~

過去のブログを見ていて、すっかりそのままになっていた、
ライターになるまでの話。

忘れていたわけではなかったのですが、
あまりにいろいろなことが起きていて
自分のことを詳しく語るタイミングをすっかり逃しておりました汗

ということで、ぼちぼち続きを書こうかなと思います。

ちなみに、その1の記事はこちら。

私の大学生の頃は、就職氷河期の末期
特に有名な大学を出ているわけでもないので、
私の周りにも何十社も受けているのに就職できずにオロオロしている友人は
うじゃうじゃいました。

そんな中、私は運よく某パソコンスクールにインストラクターとして就職できることになり、
希望していた教職に就けたことで順調な社会人の一歩を踏み出せたと思っていました。

しかし…入ってみるとその会社はかなりの経営難で、
しかも超がつくブラック企業。。
定時が朝10時~夜10時(休憩1時間45分、週休2日)という、とんでもない事態で、
インストラクターにも営業のノルマを課して、
毎日本部から「今日取れなかったら知らねぇぞ?」と脅しのような電話がかかってきます。

生徒さんに教える仕事はものすごくやりがいがあるし楽しかったのですが、
その社内体制に半年で体を壊し、転職することに。
ありがたいことにパソコンソフトの知識はかなりあったので、
すぐに事務として雇ってもらうことができました。

次に就職したのはハウスメーカーの子会社で
こじんまりとした会社でしたが、
先輩方が厳しく優しく温かく育ててくれたので
教師という希望の仕事ではなかったけれど、少し仕事の楽しさを感じられるように
超生意気だった私でしたが、社会人としての常識や仕事の仕方を教えていただきました。
(ミスをしても絶対謝らない、下っ端のミスは上司の責任だろと言ってしまうような
ひどい社員でした…恥)

とはいえ、その時の私は「もう働きたくない」という気持ちの方が強い状態。
もう社会の冷たい水は浴びたくない…
他人のお金で生きていきたい…
好きな人のために家事と育児をして、空いている時間に好きなことをして過ごしたい…

そんな甘い考えがずっと頭を満たしていました。

そのため、この仕事をしている間に当時付き合っていた彼氏と結婚の話を進め、
1年で寿退社をしました。

そして24歳で一度目の結婚。
友人の中でもわりと早い結婚で、正直当時の私は「人生の勝ち組になった」と本気で思っていました。

今まで勉強でも仕事でも脚光を浴びてこなかった私にとって、
周囲に羨望のまなざしを向けられることはかなりの快感でした。
「結婚」をするだけでこんなに気分がいいものかと、最初は本当にウキウキでした。
そう、最初だけは…。

ふたを開けてみると、夫の給料だけでは2人で生きていけないことがわかり、
あれだけ「専業主婦」にあこがれていた私でしたが
働かざるを得ない事態に。

自分の遊ぶお金が欲しかったのもあり、
仕方なく適当にデータ入力の仕事を派遣で始めました。
そこでは当初10名ほど雇われたのですが、
徐々にクビを切られ、1年後に残ったのは2名。
私とそのパートナーだった若い女性だけでした。
ここでもパソコンインストラクターだった時の知識と技術が活かされて、
さらにパートナーとの相性がよくて仕事のスピードがかなり速かったんです。
あとは私たち2人は社員さんとのコミュニケーションがかなり上手だったところもあります笑
平たく言えば、とてもかわいがってもらえていたんですよね。

そんなサバイバルに勝てた自信もあり、仕事は適当に楽しくやっていました。
でも職場が遠かったことがあり、冬場になると体調を崩しがちに。
(総武線を毎日往復2時間かけていたら、2週間に一度扁桃腺が腫れるという事態に…)
結局夫の助言もあり、家の近くの職場で仕事を探すことにしました。

しかしこの決断によって、のちに私の運命を変える気づきと出会いが起こるのです…!

…ちなみに、この段階でライターになろうという思いは
これっぽっちもありませんでした。
ライターという職業があることすら知らなかったです。

とりあえず私の頭の中は
「働きたくない」でいっぱいでしたし。

ただ、働きながら承認欲求が満たされていくのは感じていました。
何か自分が活躍できる場所があるのではないか、ということは
漠然と感じていたとは思います。

ただそれが家庭なのか仕事なのかは
分かっていませんでした。

今の自分から考えると、この当時の自分は他人のようです。
価値観って変わるんですよね…。

ということで、この続きはその3で。


今年もよろしくお願いいたします

怒涛の2020年が終わり、ついに2021年が明けました。

昨年は夫の最後の看護生活と看取り、その後世間はコロナ禍となり、
混乱の中で新生活を始めながらもグリーフケアの勉強、女子SPA!での連載などなど、
本当に大きなアップダウンがあった1年でした。

ほぼ間違いなく、私の人生のトップ3に入る、どでかいインパクトがあった年だったと思います。。

とはいえ、いろいろありながらも、絶望は一度も感じることがありませんでした。
とんでもなく深い悲しみはありましたが、希望はまったく失うことなく、
これからいいことがある、と不思議な光を感じられていました。
きっと私が先を見失わずにいられたのは、
たくさんの友人や仕事仲間、家族など、周りの人たちの支えのおかげ。
これほど人とのつながりを大切に感じた1年はなかったなと思います。

また、連載が始まってから、このブログにたくさんの方が訪れていただき、
コメントもいただきました。
同じ経験や境遇の方とつながりあえることの幸せと温かさに気づけたのは、
私にとって大変重みのあることで、このブログの本来の意義はこれだったのではと気づきました。

今後も、同じ苦しみや悩みを経験された方々に向けて、
何かきっかけや光を見つけてもらえるようなコンテンツを作っていきたいと思っています。

あと約1か月で、夫が旅立って丸1年。
あっという間だったけれど、1日1日とほどいていくと、
さまざまな感情と出会い、乗り越えてきたなぁ。
今でも「もう全然元気!」と笑える日もあれば
「これは現実?」とほろほろと涙がこぼれる日もあります。

でも、確実に今の自分は去年の私より前に進めている、と感じています。
それはきっと、過去に対して引きずったり囚われたりすることなく、
過去も自分の一部だと思えているから。

今の自分は夫との時間があったからこそ存在していると思えるから、
自信を持って足を前に出すことができているのだと思います!


そんなことを思いながら2020年が過ぎていきましたが、
なんとなく、昨年の終わりくらいから追い風を感じる日々。
うまく言葉にできないのですが「来てる来てる!!」っていう感じがしています笑

なんだか今年のみずがめ座の運気はかなりいいとどの占いの本にも書いてあったので笑、
そのせいもあるのかも?笑

このポジティブな勢いに乗って、
今年はさらにチャレンジしていこうと思います!

未亡人として経験した、いろいろな感情や心の動きなども
今後また発信していきたいです。

まずは夫の1周忌を無事に終わらせて、
今年の妻の役割を全うしたいと思います。

今年もよろしくお願いいたします!

2月に夫が旅立ちました

すっかり新型ウイルスのせいで日常が様変わりしてしまった方々も多いかと思いますが
皆さまお元気でお過ごしでしょうか。

早くちゃんと報告をしなくては、と思いつつ
こんな時世となりタイミングを逃していたのですが、
2020年2月3日に夫が亡くなりました。

実は3年間肺がんの闘病をしており、
ずっと隣りで支えていたのですが
ついにその日がきてしまいました。

そもそも、私が結婚したこと自体、
ここで報告していなかったのですが
昨年の11月に入籍しました。
ずっと事実婚でいいと思っていたのですが
夫が突然「婚姻届出さない?」と言い出して。
おそらく先が長くないと悟った夫は、
ちゃんと形を残しておこうと思ったのだろうと思います。
今となっては子どもがいない私たちにとって
戸籍という形で一緒にいたという証拠が残せてよかったと思っています。

がんが発覚した3年前、夫は脳梗塞で入院していました。
(肺がんが原因の脳梗塞でした)
ステージ3Bで、すでに手術はできないところまで進行していました。
そのときはショックでしたが、
今はさまざまな薬があることを知り、
しかもいくつかの薬がよく効いてくれたので、
私も夫も前向きに希望をもって闘病に臨んでいました。

結果的に夫は一生懸命治療に耐えぬき
一般的な余命の中央値よりも長く生きることができました。
それでも61歳という若さ。
どんなに悔しく無念だったかと思うと、
涙があふれて仕方ありません。

最後の2週間は本人の希望もあり、
自宅で看護しました。
初の完全介護でしたが、
ケアマネージャーさん、ヘルパーさん、看護師さん、
訪問診療の先生など、たくさんの方々に支えていただきながら
無事に看取ることができました。
毎日誰かしらが家に来るように予定を組んでくださり、
いつも「ちゃんと寝られてる?」「困ったことある?」と
声をかけてくれて、何かあるとすぐに駆け付けてくれて。
まったく心細さや弱気になることがなく、
日本の福祉って捨てたもんじゃないな!と心から思いました。

今、夫が旅立ってから2カ月半が経ちますが
一人で生きているようで二人で生きているような
不思議な感覚です。
2カ月半も夫と会話しないことなど今までなかったので
寂しくないといえば嘘になりますが、
わりと一人暮らしの生活に慣れてきています。
夫が入院していたときは家で一人だったので、
その延長のような感じ…なのかな。

徐々に徐々に存在を消していくように亡くなったからか、
とても自然なことのように死を受け止められている気がします。

亡くなったことはもちろんすごく悲しいのですが、
夫の死とともに私のバージョンがアップデートされたような感じで、
今の私は新しい私、という比較的前向きな気持ちでいます。

夫と過ごして学んだことは山ほどあります。
がん治療のこと、障害年金のこと、お金に困ったときに行政でしてくれること、
介護のこと、看病する人の気持ち、葬儀のこと、未亡人の気持ちなどなど。
これは私の大事な知識や経験となり、身になっています。
これがバージョンアップの源なんだろうな。
こんなに貴重な経験をさせてくれた夫に、心から感謝しています。

とはいえ、闘病真っ只中のときは
素直に「感謝」などと思えなかったことも多々あります笑。
「なんで私が」「自由がほしい」と何度思ったことか。。
そんな思いが爆発してケンカしたこともたくさんありました。。
今思えば肉体的に苦しいのは夫の方なのに、
ひどかったなぁと思いますが…。

でも最期まで「もうこれ以上できない!」というほどやりきったので
私自身、後悔はほとんどありません!
大変ではあったけれど自宅看護にしてよかったです。
いつかまた夫に会えるときがあるなら、
「どうだった?幸せだったでしょ?」と聞いてやりたい笑

いつか夫からいただいた貴重な経験を
何らかの形で出していけたらと思っています。
それが私の仕事ですから!

まずはこの新型ウイルスの危機を乗り越えつつ
今できることを粛々と進めてまいります。

看病でできなかった仕事もたくさんありますので、
今は少し時間にも余裕があるし
これからはもっと精力的に頑張ります!!


こんな男は要注意!! アマゾンエコーのCMから見るマザコン男の特徴3つ

こんにちは!
久々の投稿ですが、今回はこんな話題を。

最近、無性に気になってたまらないのが、
「アレクサ!」の呼びかけでおなじみの
スマートスピーカー『アマゾンエコー(Amazon Echo)』のCM

 

 

若い男性が、彼女のために肉じゃがを作りますが
「おふくろの味にならない」と
テレビ通話で母親にアドバイスを求める……という内容。

この男性の行動、なにやらモヤモヤしませんか?

 

Twitterなどのネットでも
「マザコンがすぎる」
「気持ち悪い……」
という声が相次いでいて、
やはり世間の人々もCMの男性にそこはかとない“マザコン感”を抱いているよう。

 

一体、このCMの男性のどの行動が
“マザコン感”を彷彿(ほうふつ)とさせるのでしょうか。

男性の行動から、
マザコン男性がしがちな言動と心理について考えてみましょう。

 

1.困るとすぐ母親に相談する

まず、料理の作り方がわからないからと
母親にテレビ通話をつないでいる状況ですが、
CMだから仕方ないという部分は置いておいて)
この情報過多な時代、
一般的にはまずインターネットなどで調べるのが通例なもの。

 

いずれにしても料理の味は電話先の相手に伝えるのが難しいので、
たいていはそのままの味で諦めるか
とりあえず自分流に試行錯誤するのではないでしょうか。

 

にもかかわらず、CMの男性は母親にテレビ通話で連絡し、
どうすればいいのかを聞いています。

このように、どんなに小さなことでも母親に相談したくなる、
また母親の意見を求めるような行動は
マザコン気質な男性によく見られます。

 

マザコン(マザーコンプレックス)は、
簡単に言うと母親に依存している状態
(場合によっては両者で依存する“共依存”になっている場合もあります)。

精神的に母親に対して固執し、
なにかと母親の意見を求めて行動しがちです。

 

しかもCMの男性は母親に言われるまま調理し、
肉じゃがをカレーへとチェンジされているにもかかわらず
「これもしかして……うまい!」と違和感なく受け入れています。

 

自分が作ろうとしていたメニューを勝手に変えられたら
「カレーじゃなくて肉じゃがになんだけど」と言いたくなるものですが、
母親の意見を頼っているマザコン男性は
むしろ「これでOK」と思ってしまうのです。

 

2.「おふくろの味」をベストとしている

「おふくろの味にならないよ……」
という発言からもわかるように、
彼女に“母親の味の肉じゃが”をふるまおうとしています。

 

恋人に作る食事は、やはり自分がベストと思う料理を選ぶもの。
つまり彼は、一番自信があって且つおいしい料理は
「母親の味」と考えていると思われます。

 

母親の味を求める傾向は、マザコン気質の男性の特徴の1つ。
幼少期から食べていた母親が作る料理に固執しています。

彼女や妻の料理にも“おふくろの味”を求めたり、
料理をほめるときに「かあさんの味に似てる!」と言ったりすることも。
女性からすればカチンとくる言動ですよね。

 

また、母親の味を押し付ける傾向もマザコン気質の男性の特徴。
このCMでは描かれていませんが、訪れた彼女に料理をふるまうときに
「うまいでしょ。これ、おふくろの味なんだ」
とうれしそうに報告する可能性も大いにあるでしょう。

 

3.母親に歴代の彼女の話をしている

料理を終えて、母親が「今度はどんな子なの?」と聞いていますが、
この発言から男性は歴代の彼女のことを母親に話していると見受けられます。

 

息子をマザコン気質にさせる要因の一つは、
母親がなんでも決めてしまうこと。
恋人だけでなく、友達、学校、会社、住む場所など、
息子の意志を尊重せず自分の都合のいいように仕向けて
息子を支配してしまいます(これが上述した“共依存”です)。

 

息子も「今まで的確なアドバイスをくれた母親には逆らえない」と
言う通りに行動してしまうので、
結局母親に相談するのです。

 

このCMの母親も息子に新しい彼女の影がちらつくと
報告を聞かないと堪えられない様子。
典型的なマザコン男性の母親といえそうです。



ちなみに、最後に料理を教えてくれた母親にお礼もせず、
しかもAIのアレクサに「通話を切って」とぶった切るところも、
マザコン男性らしい一面。

依存しているだけに「母親はなんでも許してくれる」と思っているので
母親には横柄で自分勝手な行動をとることがあります。

 

「母親思いの男性」と「マザコン男性」の大きな違いは
自分の考えで行動しているかどうか。

母親に対するやさしさが自らの親孝行心なのか、
母親が望むからなのかを見極めることが大切です。

あなたの彼氏は大丈夫ですか!?


2019年、あけましておめでとうございます!

みなさま、遅ればせながら、あけましておめでとうございます。

昨年もたくさんの出会いと新しい挑戦に恵まれた1年となりました。

本当に感謝感謝です!!


昨年はCo-Co Life☆女子部の副編集長になったことが、

かなり大きな変化だったかなと思います。

今までもある程度ライフワークの1つにはなっていましたが、

どっぷり毎日何かしらCo-Co Life☆女子部のことで

手を動かしたり考えたり連絡をとったり打ち合わせしたりなど

生活の中心になりました。


さて、今年はというと、

Co-Co Life☆女子部の活動はもちろん継続しますが

本職のライター業では本の出版をしたいと考えています。

今年の4月でフリーライターになって丸4年。

そろそろ自分の今までやってきたことを形にしたいです。

まずは企画が通るかが問題なので、

少なくとも年内に企画を通す、ということを

目標にしたいと思います!


あと、また新しい勉強もしたいなと思っているので、

ちょこちょこそちらも進めていきたいです。


さっそく今月は知的障がい者のガイドヘルパーになる研修を受けています。

朝から夜までみっちり授業という環境は久しぶりで

初日の帰りには知恵熱が出る勢いでしたが、

たくさんの交流や発見がたくさんあり楽しいです♪


今年も何があるのかわかりませんが、

目の前のことをきちんとこなし、

未来への行動も平行して動きつつ、

楽しみながら過ごしていけたらと思っています!


今年もどうぞよろしくお願いいたします!!